「身の丈にあった暮らし」の件
こちらの記事についての気付き。
欲望を満たすことを是としない増田のスタンスは、一見『悟りの境地』にかぶるところがある。
しかし釈然としないのはなぜかと思っていたら、増田の最も言いたかった一文を見つけた。
その欲求は確かにある。でも、その欲求を満たすために努力したり、犠牲を払うことだけは何としても避けたい。
『避けたい』のだ。
増田は『手に入れたい』を捨てて『楽をしたい』を選んだだけのこと。これを慎ましやかな言葉で飾って、同時に大きな主語で世間を批判して披露したに過ぎない。
悟りを引き合いに出したが、では悟りとは何か。
まだ私はそれを語る位置にはいないが、いかにして自己のこだわりを認識しないかという技術だと思う。
過去の記憶を今にあてはめないこと。
未来の願望を今にあてはめないこと。
感情や欲求を無視すること。
他人に理性的に働きかけ、期待も失望もしないこと。
実生活には向かない面が多々あるので、そこは悟りに没入せずに適度に取り入れる。
日々の生活は、自分の行いが予想通りになったかどうかの答え合わせとして粛々と過ごし、そこには善も悪も得も損も等価と見なす。
悪い結果であっても「なるほど」と受け入れる姿勢を保つ。
そこを突き詰めると、きっとその営みに使う脳の回路を除いて全てを忘れるのだと思う。
忘れても平気でいられることがどんどん増えていく。やらなくてもいいこと、達成してもしなくてもいいことが増えていく。
苦労も厭わない。快楽も十二分に味わう。他人には無償の愛を向けられるし、他人にどう思われようと構わない。
私はまだ路の途中。