ドラゲナイいじめ
セカオワってグループは、ネット上でなぜか「こいつらDisっていいよ」認定を受けている。
で、何が気に入らないのか、わざわざセカオワを叩く人達がいる。
多分、「こいつら大した思想も無い癖に、奇をてらったスタイルだけで中学生に人気でズルい。こけろ。もげろ」みたいな端的に言えば妬みだと思っている。
しっかしなぁ。何かが没落しても他のものが一律順位を上げるわけではないべ。売上枚数の世界に生きているのではなく、表現の方向はそれぞれだし、塗り重ねて磨いて継続して、ある人は枯れるしある人はどこまでも育つ。
そもそも叩かれてやめるようなマインドのわけ無いんだよなぁ。駆け出しのアイドルじゃあるまいし。
と、真面目に反論をぼやいてはみたが、実のところネット上はネタ半分。好きなこと言っていればいいのだ。
気になるのはその中で大多数の意見を鵜呑みにして実生活に活用しちゃっているフォロワーさんたち。会社や学校やカフェや電車で、リアルに声で聞いてしまった時のあのトホホ感。
がんばれよォ〜。主体的に意見作れよォ〜。って思うのだった。
たった2%の自己学習
毎月の稼働の「自己学習」欄に
2
と書こうと思う。
その2%は日割りすると
たったの10分間。
月に200分間は、3時間と20分間。
170時間働いたうちのおよそ2%にあたる。
わたしは何事も経験しなくては身につかないたちだ。
OJTよろしく、適度な仕事が舞い込んできて必要に迫られつつ、かつ初級の内容で済むものを、うまいことやって身につけてきた。
そのやりかたに甘んじていては成長しない。いや、成長は偏る。
バランスを保つためのカウンターのような実作業を中心に、
忙しい日々の業務時間の10分間をあててみようと思う。
平成30年の平成おっさん
もう何年かすると平成30年がくる。
その頃には『平成おっさん』『平成おばさん』という自嘲が生まれるのではないかと思う。
先輩たちに「えっ!?平成生まれ!!?若いなぁ〜」と言われ言われ続けてきた平成キッズ達はもういい歳になってきている。
やもすると平成10年以降生まれの人は『シングルナンバーズ』を切り捨てる発言をし始めるかもしれない。
このアイディアの発端は、ある若者が匿名で心無くも
「いかにも昭和生まれのおっさんの発想って感じ」
と言ったのに対して他の人が
「昭和生まれじゃないおっさんているか?」
と茶化したやりとりにある。
なんにせよ、平成が30年目を迎えた時のインパクトは強そうだ。
ドラゴンボールにもはや緊張感は無い
『復活のF』を観ながら掲題を痛感していた。もはやハラハラなどしない。
だが、その一方で私は別の楽しみ方を見つけていた。
花火だ。
毎年夏に花火を見る感覚で、ドラゴンボールの気のぶつかり合いや地面の亀裂や粉塵や高速移動をみればよい。
まさか空の花火で炎への畏敬を覚える人はいるまい。それと同じことだと思う。
夜、爪なんかを切ってる阿呆は…
夜、爪を切ると親の死に目に会えないと言われている。なぜか?
諸説ある中で有力そうなのが二つある。一、夜は暗いので爪を切ると怪我をしてしまい化膿して早死にする説。一、夜パチパチやってるとうるさいのでなんか適当に理由を付けた説。夜の口笛で蛇が来るのと同じ。
それらの検証はどうでもよくて、今日は新たな説を提唱したい。
こんな夜中になって、やっと爪を切るべきだと思い出したお前。お前の中の物事の優先順位はどうなってるんだ!爪を切るのは適切に手を使うためで、爪が伸びていたならすぐに切るべきではないか!5分で済むことを先延ばしして後でやることに何の意味があるんだ?むしろリスクを高めたり機会損失を被っているんじゃないのか???
そんな奴ァ人生の大事な時にどうでもいい雑務に追われているもんさ。親の死に目に会えるとでも思っているのか?
説。
この説の抜け穴となるシチュエーションとして、夜になって初めて爪が伸びていたことに気付いたケースは、またの機会に考察したい。
運動会の歌
バリエーションは無数にあるようです。わたしの母校のバージョンを紹介。
青空高く澄み渡り/今日は楽しい運動会 /シンボルマークもはためいて/心が踊る身も弾む/がんばれがんばれ力の限り/フレフレ赤/フレフレ白/フレフレ千三/今日は楽しい運動会/フレフレオー